浄化、好転反応

浄化を受ける方は、不要なものを少し強制的にこすり落とされる感じになるので、人間関係の悪化、体調不良、トラブルなど、様々な苦痛を感じられることがよくあります。
終わってしまえば、霊的な汚れがとれてすっきりされます。
私がおすすめしたいのは、これからどんな場合でも、浄化には抵抗しないようにした方が良いということです。
人生上様々な浄化の場面がありますが、抵抗しないでいれば、苦痛が終われば以前よりすっきりさわやかになります。
抵抗すると、精神や肉体が葛藤して病気になりやすくなります。
皆様に同じようなことが起こった場合は、あまり強く反応せず、静かに見守っていてくださいね。一種のヒーリングだと思ってくださって大丈夫です。


朝起きたら太陽の光を浴びると同時に太陽に向かって大きく三回深呼吸する(ネガティブな波動、思考、憑依などの悪しき状態から抜けやすくなります)。
●夜寝るときに、自分が白い光の繭に包まれていると想像したりします(眠っている間の霊バリアを張る事になり好ましくない霊障害から身を守る)。
●頭から1つ1つの所、たとえば大脳・小脳・耳・鼻・口という風に、それぞれの箇所を意識して力を抜きながら「ありがとう」を言ってみる。
浄化作用をすすめる水分を出来るだけ多く取る事をおすすめします

脱力感・無気力感として現れることが多い。
潜在していたマイナスエネルギーが顕在化して急激な変化が起こる過度的な現象、精神的不安・ネガテイブな感情(怒り・恐れ・憎しみなど)の高ぶりとして現れることが多いです
いずれも受け取った高い波動とのギャップが原因で急速にエネルギー状態が改善されるので歓迎すべき反応ですが、最も害になるのは「恐れ」
恐れは浄化の為に表面化したネガテイブエネルギーを他のネガテイブエネルギー(地球上のどこにでもあります)とドッキングさせ更に強力にしてしまう
すべて浄化へのステップ、貴方の内部に存在していたものが表面化する現象と思って良い
それを不調和な現象と判断して不安に駆られマイナスの動きをしてしまわないようにしましょう

過去の心の傷を思い出すなど心身の具合が悪くなる場合がある。
再度、病気や心の問題を認めることで、回復に向かうための現象。
心の問題を癒すことを浄化とも言います。

ネガティブな感情(怒り、悲しみ、自責の念、挫折感、罪の意識、自信のなさ、etcなど)がふつふつと湧きおこってきたとしても、それを感じる自分を責めるのではなく、そうした感情が自分の中でおこっていることを受け止めて、自分に思いやりをもって、その感情に巻き込まれずに、ただ、その感情とともにいる(その感情を感じつくす)ことで解放が起こっていきます。

一時的出てくるこれまで溜まった毒素と考えていいだろう。
その人の問題が深刻であればあるほど、好転反応も強いものになり、一時期悪化したようになり、本人も戸惑ってしまうものである。
しかし、それでも止めずにヒーリングを続けていると、やがて好転反応はおさまり、本来のヒーリング効果が出てくる。
スピリチュアルヒーリングにおいて、こうした浄化は避けられないものであり、この過程により真のヒーリングが開始されるのである。
好転反応では、肉体的、感情的問題が浮上してきて、とても辛い状態がしばらく続く。
お風呂のアカ落としみたいなものであろう。
厄年の解釈の一つとして、それまで溜まっていたネガティブな習慣的生活、想い、行いなどが、そのときに一気に噴出してくるというものである。
つまり「人生の毒」を出すことによって、それまでのマイナスのエネルギーを浄化し、ゼロにする働きがあるというのである。
これによってその人は、さらに再びクリーンになり、更なる成長をすることが出来るのだ
つまり、厄年と言われる一見マイナスの否定的な出来事も、スピリチュアルな意味においては一大ヒーリングの目的を持っていることになる。
ヒーリングにおける好転反応は、あらゆる意味で私たちに役立っているのだろう。

エネルギーのバランスが改善されているために起こる現象。
ただの症状の悪化と違うところは、そこ以外は軽く感じたり、楽になってきているところ。
通常、病気は急性のものから慢性のものへと変化していくのですが慢性の病気が治る過程で、この変化を逆にたどっていくのが好転反応。
(浄化作用)その部分の症状が深いところから表面に上がってきている証拠で好転反応が出れば治癒も早いことが予測できますから、ご安心ください。

自然治癒力が高まるプロセスの中で、蓄積されていた毒素で酸化した老廃物が体外に排出されていきます。
本来の状態に戻るために細胞が活性化されて起こる現象であり、改善の兆候でもあります。
健全な方でも起こり得ることですが、全く出ないという方もいます。
新しい刺激や変化を受けたはじめに強く起こることが多く、順応すると次第に弱まる傾向があります。

1弛緩反応……臓器が本来の状態に戻ろうとするために、一時的にアンバランスな状態になります。怠い、眠いなどの倦怠感など
2過敏反応……慢性の症状が、一時的に急性の症状に戻り、治癒がはじまります。
便秘、下痢、発汗、腫れ、痛みなど
3排泄反応……体の解毒作用の現れです。老廃物毒素を分解排泄する時に出る反応です。
湿疹、かゆみ、目やに、吹き出物、尿の色の変化、大量の便など
4回復反応……血行が改善され、汚れた血液が一時期にまわりはじめる時に出る反応です。
胃痛、腹痛、吐き気、発熱、動悸など

1.エネルギーあたり(脱力感、無気力感など)
2.体内エネルギーの活性化に伴う反応(痛み、痒み、下痢、頭痛など、肉体面での症状)
3.潜在していたマイナスエネルギーの表面化(怒り、恐れ、憎しみなど、精神面・感情面の反応)

好転反応について
ヒーリングをはじめエネルギーワークを受けた後、特に初めて受けた方ですと、精神面や肉体面で好転反応が起こる場合があります。
~好転反応とは浄化です~
ヒーリングエネルギーを受けることにより、それまで滞っていた気の流れが活性化し、全体的にバランスを取るために起こる反応です。
だるい、倦怠感、吹き出物が出る、発熱、吐き気が出る、やる気が出ない、感情が吹き出す、泣きたくなる、などです。
こうした症状は、毒出しの様な過程で一時的なものですのでご安心下さい。
かなり個人差がありますがこれらはじきにおさまります。

生活改善法、色々

●毎日出来たことをピックアップし自分を誉める
クールに分析
各人格とのコンタクト
毎日、日光に30ふん当たる
豆乳とひじきと納豆とのり
栄養と運動と休息
コーヒーは少なめ
超短期的な目標設定と毎日のみなおし!一生変化していくから
6時起き
軽くする、仲間を増やす


〈うつ病の思考傾向〉
すべてか無かとしか考えない
ひとつの出来事をすべてに当てはめる
よい出来事を否定する
飛躍した結論になる
感情で状況を決めつける~すべきと考える
自分にレッテルを貼る
すぐに自分のせいだと考える


〈松下幸之助〉
自分に与えられた天分を完全に生かしきる。

そこに自他ともに満足し得る人間としての正しい生き方があり成功

がある
人間には本来悩みは存在しない。悩むのは、

何かにとらわれているからだ
成功したら世間のおかげ、

失敗したら自分に非があったと考えた
今が最善だと思っても、

それは今日の最善であり明日の最善ではない
心が本当に素直になったら物事の本質が見えるようになる。

そうすると融通無縁に対処できる


感謝し、喜びを見いだす心を持つ

〈病院新聞〉
栄養(豆乳、ひじき、だいず、焼き海苔)
休養
運動


〈江原さん〉
朝晩に黙想する


〈勝間さん:3毒追放〉
妬まない
怒らない
愚痴を言わない


「うつ」をやめれば、楽になる
★うつから抜け出す7つの習慣
①毎日、人生に感謝し、生きる決心をする
②毎日、黙想する時間を持ち生活に取り入れる
③怒りを翌日に持ち越さない
④伴侶、子ども、親、兄弟姉妹、

親しい友人たちと時間をともに過ごす
⑤毎週、友人1~2人とともに過ごす
⑥自分に満足をもたらす決まった日課をする(仕事、遊び、

家事などを含む)
⑦週に一回、誰か一人のためにいいことをする



〈12月17日〉
洋服
徐々にひとつずつ克服する
駄目なら、その時点での選択肢からやり直す
波はあって当たり前
お金の心配はしない=神を信じる
生活習慣を変えるのは大変なこと、少しずつやっていく
誰かに依存しない
いい子にならない
自分で考える
4月復帰が目標
しっかり食べて良く寝て運動もする
あんまりテレビみず、新聞やニュースを
目標=統合
生きる意味=成長(経験を積む)
水分を摂取(2l)
入浴法
・体温+4℃で入浴する・汗をかくまで入る
・体温測定で入浴効果を確認する

浄化関連の生活改善法

朝起きたら太陽の光を浴びると同時に太陽に向かって大きく三回深呼吸する(ネガティブな波動、思考、憑依などの悪しき状態から抜けやすくなります)。
・夜寝るときに、自分が白い光の繭に包まれていると想像したりします(眠っている間の霊バリアを張る事になり好ましくない霊障害から身を守る)。
・頭から1つ1つの所、たとえば大脳・小脳・耳・鼻・口という風に、それぞれの箇所を意識して力を抜きながら「ありがとう」を言ってみる。
・浄化作用をすすめる水分を出来るだけ多く取る事をおすすめします

最も害になるのは「恐れ」。
恐れは浄化の為に表面化したネガテイブエネルギーを他のネガテイブエネルギー(地球上のどこにでもあります)とドッキングさせ更に強力にしてしまう。

心の問題を癒すことを浄化とも言います。
ネガティブな感情(怒り、悲しみ、自責の念、挫折感、罪の意識、自信のなさ、etcなど)がふつふつと湧きおこってきたとしても、それを感じる自分を責めるのではなく、そうした感情が自分の中でおこっていることを受け止めて、自分に思いやりをもって、その感情に巻き込まれずに、ただ、その感情とともにいる(その感情を感じつくす)ことで解放が起こっていきます。

出会いまで

私は思春期から、精神的にとても調子が悪くなることがあった。
生活に支障をきたして病院へ行ったことはなかったし、誰もが辛い時期を通り過ぎてくることを考えても特別なことではなかったかもしれない。
ただ言えることは、「生きづらさ」を長年抱えていた、ということ。

大学在学時には、大勢の輪のなかに溶け込めないという悩みがあった。
限られた数人となら仲良く出来ても、すぐに人に対して心を開くことが出来ず、とても警戒心の強い人間だった。

そんな私は社会人になってからも時々、どうしようもなく不安定になるので、家族をはじめ周囲の方、友人たちは、とても気を揉んだことと思う。
色々な迷惑や心配をかけたことも、一度や二度ではなかった。

私のなかで困っていたことは、「情熱」と「混乱」がいつも同居している、ということだった。
大きな志を感じるのに、どうしてもそこにたどりつけない。
自分自身をコントロールすることが、まず出来ない。
そのことによる、自己不全感。

友人は多い方だったし、時にグループの中心になるような存在でもあり、周りから見たら幸せそうに見えたかもしれない。
でもいつも、心の中はうつうつと過ごしていた。

念願かなって私は、人の精神を扱う仕事につくことが出来た。
自分自身、いつかこの道に行くだろうということは、ある程度の時期から気付いていた。
しかし、専門でやっていても、苦しい。
まだまだわからない、自分のことが…。

そんななか、「もう、どうにでもなれ」と、街角の占い師を尋ねたりもした。
そして折しも時代は、江原啓之さんらのご活躍により、スピリチュアルが一般的になりつつあった。
私は、精神医学的な興味からも、「スピリチュアルカウンセラー」なる方のもとへ、自ら赴いた。

それが、2006年の秋。
こうして私は、人格統合と出会った。

精神科医療

前回のセッションで、精神科医療について先生とお話させてもらった。
いま、心の問題を抱えている人がとても多い。
社会生活を一見普通にしている人の中にも、色んな問題は潜んでいる。
というか、問題のない人なんて、いないと言って良い。

病院の現場はとにかく忙しすぎて、こころのケアが充分に出来ているとは言えない現状。
それに加えて、薬物療法が最も中心的な治療法となっており、心の悩みや苦しみに寄り添って耳を傾け、共に考え、解決していくといったカウンセリング的な関わり方は、ほんの一握りの人にしか提供できていな現状があると思う。

人の精神、心は、非常に複雑なため、血液検査やレントゲンや薬で数値化出来たりするものではない。
もともと目に見えない「こころ」「意識」を扱っているのだから、当然だ。
関与してくるファクターがあまりに多すぎるので、身体科のように明白かつ理論的な説明がつかないことが多い。
私は、分かっていないことが多いことに魅力を感じた。
それだけ複雑で、難しい学問だと思っていたし、実際にそうだと思う。

「苦しい時に、精神科医療に救われなかった」
という声を、私はいままでどのくらい耳にしただろう。
私自身も、確かに精神科医療に助けられはしたが、救われはしなかった。
精神科では良くならず、他の方法に助けを求めて救われたという話も、今までどのくらい聞いただろう。
それは色々で、ヨガだったり、ホ・オポノポノだったり、NLPだったり、何らかのセラピーだったり、インナーチャイルドワークだったり、催眠だったり、レイキだったり…。
精神科医療には何が足りないんだろうか。
どうしていったら、もっと良くなるんだろうか。
回復のために役立つものを、もっと複合的に取り入れていけないだろうか。

そうやって漠然と、精神科医療と精神世界の統合をすべきではないかと思って来た、この5年だった。
それが前回のセッションで、精神科医療にどういう事が必要なのか、はっきりと見えた気がした。

とても壮大な話になってしまうから、少しずつ噛み砕いていこう。
先生が仰っていたように、それこそ何年がかりでだ。

美しい意思

ゼロになったとき、すべてが手に入る
豊かさも、人間関係も、住まいも、すべて正常化する
ゼロになることが大切だと、ホ・オポノポノでは伝える

私が感じるのは、ひとが本当にゼロになったとき、
人間のなかに、輝く美しい魂の「意思」があること
この人生でのかけがえのないmissionを果たそうと、
魂が輝いているように感じる
その輝きには方向性があるように感じる
言うなれば、意思
「自由意思」とは少し違う
本当の、意思
深いところで揺るぎのない
自分と一番つながったときに見えてくるベクトル
人間はみな、その美しさを内に秘めている

永遠と繋がっている
全員つながっている
過去も未来も
距離も時空もこえ

美しい意思のもとに

2009年2月18日 「いのち歌」

作詞 Miyabi 作曲 村松崇継
詩 NHKステラ1/23号より抜粋
 
 生きて行くことの意味 問いかけるそのたびに
 胸をよぎる愛しい 人々のあたたかさ
 この星の片隅で めぐり会えた奇跡は
 どんな宝石よりも たいせつな宝物

 泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
 そんな時 そばにいて 寄り添うあなたの影
 二人で歌えば 懐かしくよみがえる
 ふるさとの夕焼けの  
 優しいそのぬくもり

 本当にだいじなものは 隠れて見えない
 ささやかすぎる 日々の中に  
 かけがえない 喜びがある

 いつかは誰でも この星にさよならを
 する時が来るけれど  命は継がれてゆく
 生まれてきたこと  育ててもらえたこと
 出会ったこと  笑ったこと
 そのすべてにありがとう

 この命にありがとう


この歌には、本当に力をもらいました。
すごくすごく、当たり前のことのようでいて、人は当たり前を忘れてしまう。
頭で分かっていても、日々「ありがとう」って、言えているかな?
心の底から思えているかな・・・?

2009年2月2日 「再生」

NHKドラマ『ガラス色の恋人』より

   いつからでも 再生はできる
  ガラスも人間も、おんなじ!


          命薬

事故で恋人を失った元看護師の主人公が、想い出の地である沖縄に移住し、琉球ガラス工房で修業をします。
傷付いた心を持つ若者との出会いを通して、人間の「再生」を描く物語でした。
この台詞は、ガラス工房の主人の言葉です。
琉球ガラスは、廃瓶を溶かして再生するのですね。
沖縄基地のアメリカ人達が飲む飲料瓶を、主人公が回収するシーンがありました。
なるほど・・・いろいろなものが合わさった様な二つと同じものがない表情といい、あの青さは、一期一会の作品なんですね。
そして、再生してこそのあの美しさなんだと、深く納得してしまいました。

このドラマを今日見よう!と思っていたからか、晩御飯に沖縄料理屋を選んでいました。
気付いたら姉に
「沖縄料理ってさ、小さい頃にはそんなに魅力を感じなかった気がする。
でも大人になったら素材の味が身にしみるっていうか・・・、美味しさが分かるよね~」
と,、しみじみとどこか遠くを見るような感じで語ってました。
揚げたてのサーターアンダギー、美味しかった。

諦めずに、大きな力に身を委ねて日々を積み重ねていけば、時間はかかるかもしれないし、また転ぶかもしれないけれど、きっといつか再生し、再出発出来る。
そう 思います。
お姉ちゃん、ありがとう。

2010年12月6日の日記

1年前の日記を転記しておく。
********************************
昨日WSで、先生に久しぶりにお会いした。
二年のブランクを感じなかったことを嬉しく思う。
先生は、変わらず接してくださったのが有難かった。

私の口から、精神科に対するポジティブなイメージが語られたことを指摘された。
私自身の入院中、そして復帰に至る原動力は、
「精神医学はこのままじゃいけない」
ということだった。
それを日常に流されてすっかり忘れてしまっていたと気付いた。

あと、精神科医への批判に対して反応して身体が固くなったこと。
ここには、「同一化」のカルマと自分へのふがいなさがあった。
自分より出来る先生がいるにも関わらず、不出来な自分をもっとダメだしされたような・・・。
でも、それは違う。
まったく、違うんだと後で気付いた。
私なりに、自他を切り離さずに捕らえられる力がついたからこその憤りだった。
でもそこにあるのは、同一化学しすぎるというくせ。

私は私である、ということ。
いや違う。
私はあなたでもありつつ、ただ、ひとりひとりの中に潜む、いや、精神科全体のなかに潜む、患者への諦めや、光を消してしまっている行為にたいして憤りを感じるべきだったと思う。

この事は、次のセッションの時に先生にお話するつもりだ。
***********************************
一年後のセッションで、またこの事についてお話させてもらった。
そのことは、改めて書く。

決意

私は、重いうつ病をわずらい、入院生活を余儀なくされた。
しかし、以前より取り組んでいた人格統合と、ホ・オポノポノを取り入れることによって少しずつ回復することが出来た。
すべての出会いに感謝している。
私がうつ病になったこと、そして、それを克服したことは、自分にとっての大切な糧となった。
これからは、自分の体験を多くの方に伝えたいと思っている。

«苦悩